【2Pac】ギャングスタラップの代表的な2Pac。彼の一生と出演作・代表作~嫌いな人シリーズ~

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西海岸のギャングスタラップは嫌い・2Pacについて

両親はブラックパンサー党

2Pacの両親、アフェニ・シャクールとビリー・ガーランドは、二人ともブラックパンサー党でした。

ブラックパンサー党とは、1960年代~70年代頃にアメリカで生まれた政治的組織です。主に黒人の解放運動を行っていました。活動としては、貧しい人に対して、治療費が無料の病院を作ったり、子どもたちに食事を提供していました。

その一方で、銃をぶっぱなし、アメリカの警察と対立し、めちゃくちゃ暴力的な活動もしていたのも事実です。
映画「パンサー/黒豹の銃弾」がその辺の事描いていますので、ぜひご覧下さい。

西海岸出身かと思っていたのに・・・・NY出身だった!

なんと!ずっと西海岸出身だと思っていたのに、ニューヨークのハーレム出身、ブロンクスで小さい頃を過ごしたそうです。

その彼のデビューは1991年、MCニューヨークというダサい名前でデビュー。その後2パックとしてソロ・デビューしました。

1992年には豪華ミュージシャンが曲を提供している「ジュース」に出演し、俳優としても成功しました。

彼の悲劇は捕まってから始まる

2Pacとしてデビューしてから、彼が望んだのかどうか、いろんな事に巻き込まれるようになりました。

・黒人少年が暴行して、警官から射殺されたのは2Pacの歌のせいだ、と裁判にかけられる
・うろうろしていたら、白人警官にやられている黒人を見つけて銃を打ち合う
・紹介されたファンの女の子への暴行容疑で逮捕
などなど。

2Pacは捕まってからも「うるせー。金も稼いでる。俺は黒人だ。」と言い放って拘束衣を着せられたようです。

暴行容疑で、4年6ヶ月の判決を受け刑務所行きです。(実際に刑務所に入っていた期間は9か月)

刑務所でデス・ロウ・レコードと契約

刑務所から出るための保釈金・約1億4000万円!

2Pacは、刑務所にいる間、デス・ロウ・レコードと契約します。そして9ヶ月の服役後、デス・ロウ・レコードのシュグ・ナイトが140万ドルの保釈金を出してくれて、めでたく出所します。

140万ドルというと、単純に1ドル=100円で計算したとしても、1憶4000万円ですか?
ものすごいお金を2Pacのために支払ってくれたわけです。

このため、2Pacはデス・ロウ・レコードから、逃げるに逃げられず奴隷のように歌を歌い続けたのではないかと推測します。この金出してもらったがために・・という感じがします。

デス・ロウ・レコードでヒット曲多数

デス・ロウ・レコードでは、ヒット曲を数多く飛ばします。
まず、1996年の「カリフォルニア・ラヴ(California Love)」です。これで西海岸を代表するラッパーに上りつめました。

嫌いだけど知っている。『オール・アイズ・オン・ミー』。

その他にも『オール・アイズ・オン・ミー』を発表。これもバカ売れ。

 

25歳の若さでこの世を去る

1996年9月7日に彼の悲劇が訪れます。当時大活躍していたボクサー、マイク・タイソンの試合を見たあと、横付けされたキャディラックからの銃弾を4発くらいます。

病院に運ばれたものの、13日にこの世を去りました。
25歳の若さでした。

なぜ彼が銃弾を浴びせられたのか、なぜ死ななければならなかったのか、犯人は未だ不明です。いろいろな憶測が飛び交っています。

2Pacは死後にも未発表曲が出されるなどして、生存説さえあるほどです。熱烈なファンが多いのですねぇ。ちなみに彼の版権はエミネムが多数所有しているそうです。これもまた嫌いな人。

そんな彼を知りたい人は、ドキュメンタリー映画『トゥパック:レザレクション』を見てください。

 

他にも伝記映画『オール・アイズ・オン・ミー』が公開されました。
U-NEXTで「オール・アイズ・オン・ミー」を見てみる

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