【ネタバレ】NetFilixヒップホップエボリューション2Pacの人生と東西抗争。抗争中の話題曲

ヒップホップエボリューション東西抗争と2Pac

NetFilixのドキュメンタリー、ヒップホップエボリューションを見ています。そこで悲劇のカリスマ2Pacを取り上げています。

2Pac 本名:Tupac Amaru Shakur(1971年6月16日生まれ)

ニューヨーク州ハーレム出身

東西抗争の始まり

ニューヨーク州で生まれたヒップホップは、音楽として認められ、世界中に広がっていきました。そんな中、ロサンゼルスのコンプトンから生まれたギャングスタラップが注目されます。その代表として知られているのがN.W.A(Niggaz Wit Attitudes)です。

N.W.Aが生まれた1980年代のロサンゼルスでの黒人は、かなりひどい扱いを受けていました。黒人というだけで職務質問を受けたり、所持品検査を受けたり、、、。怒りを込め汚い言葉でラップにしたところ、良いも悪いも大ヒット!!

ロサンゼルス発のヒップホップとして商業的にヒットし始めました。

N.W.Aが警官をディする歌。「Fuck tha Police」

西側のヒットが気にいらない東側

N.W.Aを始めとする西海岸のギャングスタラップのヒットが気に入らない人たちがいました。ニューヨーク州を含む東側の人たちです。ニューヨークにとって、自分たちが生み出したラップを真似されて他の地域の人間がヒットすることが許せませんでした。

それはアーティストではなくヒップホップを愛する普通の人たちにその傾向が強かったようです。

その証拠にN.W.Aのニューヨークでのライブでは、ブーイングの嵐。ロン毛のカーリーヘアをばかにされた、という話も残っています。

歌でディスる

西側のヒップホップ気に入らねぇ、とTim Dogなどはさっそく歌でディスります。

こんな調子で、どんどんお互いディスりはじめて、抗争(スラングで「ビーフ」)はヒートアップしていきます。そしてディスる曲の事を「ディス・トラック」と言います。

マスコミが面白がって書く

東西抗争を激化させた原因の一つがマスコミです。ヒップホップ専門誌『VIBE』なども東西抗争のネタを取り上げました。誰がヒットチャートに入ったか、誰が誰を気に入らないのか、マスコミが面白がって書き立てて、抗争が止まらなくなってしまいます。

2Pacは当初からカリスマ

2Pacはヒップホップを知らない人でもその名前だけは知っています。出てきたときからカリスマがあり、皆を惹きつけました。

善人でありながら危険。

2Pacを近くで見ていた人は、ヒップホップエボリューションの中でこう語っています。2Pacのあぶなっかしい私生活もスパイスとなって、曲は出したらヒットする。一番のスターでした。

2Pac撃たれる

東西抗争が激化する中、衝撃的な事件が起きます。2Pacが撃たれます。3人の強盗に頭を撃たれます。

この時、2Pacはレイプ裁判で有罪となり、刑務所行きが決まっていました。そんな最悪な状況の中、2Pacはハメられた!裏切られた!と思い、疑心暗鬼になってしまいます。

刑務所での2Pacの精神状態は正常ではなかったのではないかと思われます。

notorious B.I.Gのディス・トラック

2Pacがムショ生活、さらには強盗に撃たれて重傷を負っている中、友達だったnotrious B.I.Gはディス・トラックと思われる曲をリリースします。

Who shot ya?

この曲を聴いた2Pacは激怒し、notorious B.I.Gは事件の前から作ってた歌だ、リリースも前から決まっていた、と主張します。しかし2人の溝は深まり、抗争は激化します。

ザ・悪いやつ~シュグ・ナイト~

2Pacが刑務所に入っている間、悪いやつ代表、シュグ・ナイトが2Pacに近寄ります。シュグ・ナイトとはヒップホップレーベル「デス・ロウ・レコード」の設立者です。

シュグ・ナイトは1995年8月のSource Award(ヒップホップのレコード大賞のようなもの)で登壇し、こう言い放つのです。

2Pacよ。注意しなさい。俺らはお前の味方です。プロデューサーが曲中に登場して、MVで踊ったりするのが嫌なやつはデス・ロウに来てください。

シュグ・ナイトの発言

公共の場で、パフ・ダディをディスり、刑務所にいる2Pacに「デス・ロウレコードに来い!」と言い放つぶしつけな奴なんですね。

しかしこの言葉が2Pacに響きます。友人のnotorious B.I.Gも信じられなくなった2Pacはまんまとシュグ・ナイトの誘いにのり、デス・ロウ・レコードに所属します。しかも保釈金はシュグ・ナイト持ちで。借りを作ってはいけない相手に借りを作ってしまったのです。

ヒップホップエボリューションで2Pacと親しい人たちはこう話しています。

2Pacは服役中だろうがレコードは売上1位、しかも映画にも出てる。成功してるんだ。シュグ・ナイトと契約する必要があったかい?

2Pacのディス・トラック

刑務所から元気に出てきた2Pacも負けていません。notrious B.I.Gに対してディス・トラックを放ちます。

2Pac、再び撃たれ帰らぬ人に

東西抗争がヒートアップしている最中、悲劇が起こります。1996年9月8日、ボクシングの試合を見た後、横づけしてきたキャデラックに銃弾4発を受け、倒れます。25歳でした。同乗者にはシュグ・ナイトもいましたが、こちらは一命をとりとめます。

誰が2Pacを襲撃したのか。ずっと争っていたnotorious B.I.Gなのか、それとも2Pacが前からかかわっていたギャングたちなのか、いろんな人が容疑者として挙げられます。誰が真犯人なのか未だにわかっていません。

notorious B.I.Gも・・・

2Pacがいなくなってから、約半年後、今度はnotorious B.I.Gが何者かに襲われます。彼は雑誌VIBEのパーティーの後、同じく走行中の車から銃弾を放たれ倒れてしまいます。彼も25歳でこの世を去ります。

notorious B.I.Gに銃口を向けた者もわかっていません。一説にはシュグ・ナイトが2Pacが殺された報復として実行したとの噂もあります。

そんなシュグ・ナイトは2015年ひき逃げ事故を起こし、現在懲役28年で服役中です。

不毛な東西抗争の終わり

2Pacとnotorious B.I.Gという若く大きな才能を失って、東西抗争は終わりを告げます。不毛中の不毛。なんの救いもないみじめな争いです。

東西抗争で、ヒップホップはディスり、暴力、過激、という路線を突っ走ってきました。しかし2Pacとnotorius B.I.Gを失った後、ヒップホップの流れが変わります。

友人を失ったPuff Daddyが悲しい気持ちをヒップホップで表現したのです。これが大ヒット。

MVでも雨に打たれたり、ぼーっと佇んだり、今までなかったヒップホップを見せつけて音楽として新たなステージへと進んだことを印象づけました。

東西抗争の終わりが、ヒップホップを変えて行ったのですね。