Netfilixで見る事ができる「ヒップホップエボリューションシーズン4」。これはヒップホップの歴史を知るのに良いドキュメンタリーです。
ここではアフリカバンバータから、グランドマスターフラッシュまでを書きます。
ちなみに前回はこちら。クールハークについて書いてます。
[blogcard url=”https://andes-melon.com/hiphopevo_kanso1/”]ヒップホップホップエボリューション「アフリカバンバータ」の登場
アフリカバンバータは、ブロンクス区リバーサイド出身です。当時のブロンクスは、毎日が火災で街は瓦礫に溢れ、まさに内戦状態です。
そんな状況の中で必然的にうまれるのが「ギャング」です。奪うか奪われるかの瀬戸際で、若者たちが武装し始めました。
対立の構図は「ブラックアメリカンvsプエルトリカン」です。

実際に「ブラックスペース団」や「パワーブロンクス」など暗躍していました。
アフリカバンバータが作ったズールーネイション
ズールーネイションでギャング抗争終了
そんな中、アフリカバンバータは「ズールーネイション」を立ち上げます。
「ズールーネイション」とはギャング同士手に手を取り合おうと、ギャンググループのリーダーを説得しました。ズールーネイションに参加したギャングは、慈善活動に参加するなどして、社会との接点を持つようになりました。
ヒップホップが文化となる土台ができた
ギャングは音楽、グラフィティ、ダンスで更生
アフリカバンバータの大きな功績の一つに「ギャング抗争を終わらせた」事が挙げられます。こうしてギャングは喧嘩や抗争から解放されて行ったのです。
この時ギャングたちが自分達の更生のために求めたものが、音楽であり、グラフィティであり、ダンスでした。
ズールーネイションによって、人と人との繋がりができ、ヒップホップを文化へと格上げする土台がうまれたのです。
[ad]グランドマスターフラッシュへと続く
— Grandmaster Flash (@DJFlash4eva) July 7, 2019
クールハークが基礎を作り、アフリカバンバータが人の輪を作りました。その上に機材とテクニックを駆使してさらに洗練させた人がいます。
DJ3大レジェンドの最後の一人、グランドマスターフラッシュです。
グランドマスターフラッシュの幼少期
彼は幼い時から機械が好きで、ドライヤーや乾燥機、ネジなどなんでも解体したそうです。
ヒップホップエボリューションでも「特に乾燥機など、くるくるまわる機械が好きだった」と語っています。
ガラクタの中からレコードプレーヤーを自作し、聞いていたとも語っています。

音質は聞けたもんじゃなかった
、と言ってたよ。
グランドマスターフラッシュのテクニックとは?
ヒップホップエボリューションの中で、クールハークのDJテクニックも、アフリカバンバータのテクニックも勢いはあるものの、かなり雑だった、と語られています。
そんな雑なDJテクニックを聴きやすい音楽に変えた人がグランドマスターフラッシュです。
グランドマスターフラッシュは、今のDJテクニックの基礎を作り出しました。
当時行っていたやり方は、レコードの上にクレヨンで印をつけて、その印がアームを何回通ったか数えておき、通った回数を手を使って巻き戻す、というものでした。
ラッパはだれが始めたのか?
クランキー・クラッカー説
誰がラップを始めたかというのには、皆自論があり、これだ、という人は定まっていないそうです。
そんな中、ヒップホップエボリューションでは、当時の人気ラジオDJの「フランキー・クラッカーだ」と言っています。
彼の喋り方がとても面白く、みんながパーティーで真似たそうです。
DJハリウッド説
ヒップホップエボリューションでは、DJハリウッドもラップを初めてやった人だ、という声があります。
DJハリウッドのパーティーは独特で、スーツ着用、ブレイクダンス禁止、金持ちオンリーだったそう。そんな雰囲気のパーティーへの憧れもあったのではないでしょうか。
ヒップホップはショービジネスに
街の小さなパーティーで盛り上がっていたヒップホップは、ショービジネスの世界に続いていきます。
フューリアス5
グランドマスターフラッシュは、自身を含む5人でヒップホップグループをつくります。その名も「グランドマスターフラッシュとフューリアス5」
- グランドマスターフラッシュ(Grandmaster Flash)
- キースカウボーイ(Keith Cowboy
- メリーメル(Melle Mel)
- キッドクレオール(The Kidd Creole)
- スコーピオ(Mr. Ness/Scorpio)
- ラヒム(Rahiem)

その後金でもめて仲たがいしたとかしないとか・・・。
Spotifyでよく聞かれている曲です。
ヒップホップエボリューションでは「皆がステージを見ていた。パーティーではなくコンサートのようだった」と話しています。
このフューリアス5の成功を機に、ヒップホップはDJからラップ中心へと変わっていくのです。
続く
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