ネットフリックスで放映中の「ヒップホップエボリューション シーズン4」では、ヒップホップの文化がどう培われてきたかをドキュメンタリーで伝えています。
今回はアメリカ南部(アトランタやニューオリンズ)のヒップホップについてです。
過去記事ヒップホップの歴史についてはこちら。
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南部(アトランタ・ニューオリンズ)のヒップホップ文化
アメリカ南部のヒップホップはかなり独特です。ヒップホップエボリューションでは、南部のヒップホップを含む音楽文化を「ガンボ」(様々な文化が混ざり合っている)と言っていました。
なぜ、南部ではより一層「ガンボ」な状態のヒップホップがうまれたのでしょうか。そこにはやはり南部独自の文化に関係があるようです。
唯一「アフリカ化」された場所
黒人がなぜアメリカ大陸に来たのか。言うまでもなく奴隷制度がまかり通っていた時代に、アフリカ大陸から連れてこられたからです。
奴隷制度真っ最中のアメリカ南部は、フランス人が統治していました。フランス人は当時の黒人に対し、非常に寛容な態度をとり、黒人たちから音楽や踊り、風習を奪わなかったようです。
お葬式はジャズ葬
その名残から、今でも南部アメリカのアフリカンアメリカンのお葬式は、アフリカ式。音楽隊がジャズを奏でて亡くなった人を偲びます。
本当に、優しいステップを踏みながらマーチングバンドがお葬式に出ています。ヒップホップエボリューションでは、その映像も流れます。
映像では、家族が一列目で悲しみにくれていると思いきや、二列目では近所の連中がどんちゃん騒ぎです。
「アフリカでは死は終わりではなく、次のステージを意味する。皆で悲しみながらお祝いするのだ」との考え方があるからだそう。
ニューオリンズやアトランタなどのアメリカ南部は「アフリカ」の残る「アメリカ」なのです。
[ad]ニューオリンズ初のDJは「DJ サブ」
ニューオリンズで初めてDJをしたのは、DJサブと呼ばれる人でした。公営住宅をパーティを始めたのがきっかけだそうです。
DJサブの最大の功績は、息子のマニー・フレッシュにDJを見せていた事。マニー・フレッシュは、父のDJプレイを見聞きして育ち、次第にその技を盗むようになりました。
マニー・フレッシュとマイアミベース、TR808
マニー・フレッシュは、マイアミベースが流行っていた1980年代にDJを始めます。またTR808が人気と知り、マイアミベースに、TR808を取り入れました。
それが爆発的人気になります。ラッパーのグレゴリーDと組みます。
彼らの曲は、ニューオリンズ風でヒップホップとジャズ、さらに人気のTR808の音を加えて作られたのです。
その曲は「Buck Jump Time」です。
Buck Jump Timeは喧嘩の合図
大人気となった「Buck Jump Time」はパーティーでの喧嘩の合図となりました。
ヒップホップエボリューションでは、この曲がかかるとお金持ちは出て行き、殴り合いが始まった、と語られています。
地域によっていろんなヒップホップがうまれた
ヒップホップエボリューションをみると、地域によっていろんなヒップホップがうまれた事がわかります。
またそれは深く人々の生活や風習に根付いたものであることもわかります。
他にもどんなエピソードがあるのか追ってみて行きます。
続く